「なんて」
不機嫌そうに顔をしかめて、エルマーは聞き返した。ギルベルトは一瞬竦む顔をしたが、どうにかやり過ごすと、ゼミの忘年会、参加で出した、と繰り返した。
ギルベルトとエルマーは同じゼミの四年生と三年生だ。もっとも、エルマーのほうは後輩らしくかわいらしく振舞ってやろうと言う気はまるでない。これまでもこれからも、だ。
文学部史学科と言う、憧れを抱かれる割に人気のない学科は、この大学では少なくともあまり女子がいない。女子のほうが多い文学部なのに、だ。エルマーはそういう環境だからと言ってギルベルト相手に目覚めたわけではない。二人はもう相当長い幼馴染なのだ。そしてエルマーはいい加減に彼を落としてやろうと心に誓っている。時にわざと逃がしてやってきたが、この恋が何年がかりだとギルベルトが思っているのかは知れない。決まっているのは決定打が来るまで、エルマーに終える気がないことだけだ。向こうに女が出来たこともあるし(長続きした例はないが)、自分に女が出来た事だってある。ギルベルトはずっとエルマーにちょっかいを出されても知らない顔をしていたのに、いざエルマーの隣に女が出来たら複雑そうな顔をしたので、悪いばかりではないとエルマーは思った。
それはさておき、忘年会である。
空気を読む気がない男ばかりのゼミで、忘年会は大体クリスマスイブにぶつけられるものだと決まっている。エルマーはそれを見越した上で、ギルベルトにイブを空けるように要求していた。脅迫と言ってもいい。現にメーリングリストでエルマーにも忘年会の案内は回ってきたが、保留と言う名の放置をしている。
別に何かしたいわけではない。表向きはギルベルトとエルマーは、小さな頃から縁がある先輩と後輩だ。だから、なにもイブだからいまさら何かイベントを組み込まなくてもいいのかもしれないけれども、今度こそ、とエルマーは思っていた。
二人とも就職活動を始めている。五年生が確定しているギルベルトは学部の成績はよくないけれども、凝り性が過ぎて今年の夏に出した論文が学会で評価を受けたことがあって、その筋で生まれた縁でそこそこいい内定が取れそうなのだ。エルマーのほうは別に真剣に史学がやりたかったわけでもなければ、とてもやりたい業種があるわけでもないので、いまのところは一部上場の会社を狙いながら、まだ説明会やセミナーにいったりしているだけだ。ただ、この次のクリスマスに、今度こそ会えなくなっているかもしれない。だから、脅迫まがいのことを言いながらも、エルマーはギルベルトにクリスマスを共にすごして欲しかったのだ。
「そう」
だが、断られたならば、もう何もいえない。エルマーはスターバックスのテラス席の、あまり座り心地が良い訳ではない椅子の背もたれにぐっと身を預けた。そこそこ寒くない夜だから、周りが綺麗な電飾で囲まれたこの辺りならば、テラス席に座ればそれなりのロマンが演出できると、別に期待したわけではない。ギルベルトはそれはもう絶望的なほどに、こんな状況はかわいらしい女の子とすごしたいと思っているに違いないからだ。
ノンケなのだろうし、馬鹿なのだろうとも思う。こんなに甲斐甲斐しく世話をしてやるつもりの一つ下のお買い得物件がずっとモーションをかけているのに、なびかないなんて馬鹿でしかない。エルマーはそう自分を慰めた。だってもうクリスマスは振られてしまったわけだし。
「怒らないのか」
「お前がそれを選んだなら、俺がどうこう言えるわけじゃないだろ」
ふてくされた口調が出ることくらい許して欲しいと思う。だがギルベルトはそのエルマーの声音を聞いてやはり悲しそうな顔をした。ああ、そんな顔をするくらいならばいっそ、自分の手元に諦めて落ちてきてくれたら良いのに。硬い背もたれに身を預けたまま彼をぼんやりと見る。色素の薄い特殊な色の髪に、これまた変わった色素の目。幼かった頃は小さくてふわふわしていたエルマーを時々かばってくれた、そのときからずっと好きだったと言うのに。
そう、だからいまさらイベント一回で彼をどうこうしようというほうがおこがましいのは分かっている。分かっているのに、つい弱音が出るのは、本当にこの冬で子供の顔をしてられるのも終わりだろうとも、分かっているからだ。
「俺みたいな可愛い子と、こんなきらきらしたイルミネーション見ながら過ごすクリスマスをギルにあげたかっただけだから。気にしないで」
背もたれに沈み込んだまま、目線だけ上げてギルベルトに笑いかける。ギルベルトはそれでも難しそうな顔をしていた。そんな期待をさせないで欲しいと、はっきり伝えたほうがいいのだろうか。関係を壊すことは時に難しい。相手が見慣れた相手であればあるほど、踏み込むことも引くことも出来やしない。
可愛い子、って、ギルベルトは一応突っ込みを忘れなかった。平然とした顔で、俺よりも可愛い子、そんなにいないよ、なんて言い切れる相手はギルベルトだけだ。ギルベルトはエルマーが己の女々しい外見を好いていないことを知っている。残念ながらそれゆえに昔ギルベルトはエルマーを庇ってくれたのだ。
「だってこれ以上テメェに特別扱いされたら困る」
そしてふと、彼はそんなことを言う。
思わず預けていた背もたれから身を起こす。ギルベルトはそれに逆らうように目線を落とした。辺りのイルミネーションが彼の変わった色の睫を照らす。許してやるものか、とその目線を追いかける。昔から、彼は自分の目には逆らえないのだ。
「特別扱いっていう自覚はあったんだ」
「クリスマスイブを空けろってのは特別だろ」
「そうだね」
エルマーは思わずくすくすと笑ってしまう。ギルベルトがかっとなって顔を上げたけれども、彩り豊かなイルミネーションに照らされたその表情はどうしても愛らしいとしか見えなかった。あんな照れた顔は怖くない、むしろ自分を守って喧嘩をするときの、あの変わった色合いの目がかっと見開く表情のほうがよほど怖いし、あれを支配したいから自分はギルベルトを落とすと決めたのだから。
「じゃ逃げないでよ」
ギルベルトは自分に不利な状況だとは分かったらしい。彼の視線は自分が下から覗き込んで、掬い上げるように奪ってある。そうすればギルベルトは絶対にエルマーに逆らえない。小さなときの刷り込みとは恐ろしいものだ。幼い頃から守っているつもりのものに食い破られてしまうのだから。
掬い上げた視線ははじめ尖っていたけれども、結果的に戸惑って揺れている。こんな顔をされて、黙っていられるならば聖人君子だ。エルマーはいたって俗っぽいクリスマスイルミネーションを活用するように、睫、きらきらしてる、と小さく呟いた。
「ずっとギルが好きなんだからさ、いまさら逃げ場なんてないよ」
もっと困って困って、迷いながら縋るみたいに俺に落ちてきてよ。
後半は口には出さずに、ただゆるく笑った。ややあって、テメェの髪もきらきらしてる、と彼が言ったのは、果たして意趣返しのつもりだったのだろうか。エルマーの外見について触れることを許された、ギルベルトがエルマーに対して有する特権を使っていることを自覚しているのだろうか。ありがとう、と言いながら、エルマーは、彼が自分に傾いて来ていることが楽しくて笑った。