「でもプロポーズは赤か白で勝負したいよねぇ」
顎に手をやりながら、この春卒業する先輩――フランシス・ボヌフォワが言った。
「かっこいいですねぇ」
口からぽろりと零れるのは率直な感想だ。だってそうだろう。恋人であるアーサーにプロポーズをすると言って、バラを買いに彼はこの花屋までやって来たのである。
その時点で十分に男前だと言うのに、色が赤か白、ときたものだ。男前過ぎる。
だが、フランシスが、と思うとそれもまた然りと言う気もした。何しろ、どこかの雑誌でモデルでもやればいいのではとティノが思ってしまうくらいに顔が整っているのだ。スタイルもすらりとしていてお洒落で、更に言えば気が利く。軟派そうに見えて、その実細かいところまでよく見ているのだ。
「ありがと」
「……いえ、はい。とっても素敵ですよ」
フランシスがにっこり笑う顔は、素直にかっこいいと思えるものだ。だから素敵、と言葉を重ねたのだが、なぜだか自分の言葉の後にフランシスの顔が微妙に歪んだ気がする。気がすると言う程度なので大きく表情筋を動かした訳ではないのだが、口の端がほんの僅か、ぐにゃりと曲がった気がするのだ。――まるで、苦笑でも漏らすかのように。
(……何でだろ?)
ティノが首を傾げている間に、フランシスは本格的に花の選別に入ったようだった。くるりとカウンターへ背を向け、ガラスケースの前のバケツに詰められたミニバラや、ケースの中で澄ました顔をしているバラをじっと見ているようであった。
「……ティノ」
隣から、声がする。はっとしてティノは横を振り向くように見て――そして、ぎくりと心臓を強張らせた。
ベールヴァルドはじっとティノの方を見つめていた。だが、その見つめ方が尋常ではないのだ。
「おひぇっ……ベ、ベーさんっ?」
呼び名を繰り出す声が少し震えてしまっているのが、自分でも分かる。無駄に声帯が震えてしまうくらいの顔なのだ。まずい、気付かない間に怒らせたか、と今までの行動をざっと頭の中でリピートしてみたが、特に何もしていない。何しろ、ほんの数十秒前までティノはフランシスと喋っていたのだ。
さぁ何を言われるやら、と内心怯えながらベールヴァルドの言葉を待つ。
彼の朴訥な口から出たのは、あまりにも予想外のものだった。
「……おめ、フランシスみでぇな顔が好みなのか」
「………は?」
思考が、発言に追いつかない。だからもう一度、ティノはひどく間の抜けた声では、と聞き返した。
「んだから、おめぇがフランシスのごたかっこええ、って言っだから」
「えっと……」
どうしよう。どこから突っ込めばいいのだろうか。
ティノがかっこいいと言ったのは顔立ちの事もあるが、主にはその行動についてである。自分には出来ないであろう事をさらりとやってのける、そのスマートさがかっこいいと思って言ったのだ。ベールヴァルドが勘違いしているような意図では言っていない。
「えーっと……」
助けを求めるようにフランシスへ目をやってはみたものの、先輩はバラを見るのに夢中で、こちらの事は気にもなっていないようだった。
「好みって言うか、そうじゃなくってですね……?」
好み、と言う単語を耳に入れて、またベールヴァルドの顔が険しくなる。
言い訳でもすると思われているのだろうか。だとしたら勘違いもいいところだ。そもそも、別にフランシスの顔が好みと言う訳ではないのだが。
「あーっと、だからですね」
じり、と追求するようにベールヴァルドの顔がにじり寄る。それをどうどうと手で制しながら、仕方なくティノはフランシスに聞こえぬように小声でまくし立てた。
「僕が一番好きな顔なんて、ベーさんに決まってるじゃないですか、ね!」
「……そっが」
ベールヴァルドが肩から力を抜く。険しくなっていた眉間が僅かに和むのを近くで見て、ティノは思わずほっと小さく息を吐いた。気付かぬ内に損なわせてしまっていた機嫌であったが、これで元に戻りそうだ。
その代償に何だかひどく恥ずかしい事を言ってしまったような気がしないでもないが、きっと気のせいだろう。そうに違いない。
(深く考えたら負けだ、うん)
そう必死に心中で呟くティノの隣で、ベールヴァルドの表情が柔らかな色を漂わせる。頬の辺りを優しくして口の端をひょこりと上げたその表情は恐らく照れや喜びと言った言葉が相応しいものなのだが、今の一連の流れを振り返ってはいけないと自分に言い聞かせるのに夢中なティノは、惜しい事にそんな珍しい彼の表情を見逃してしまっていた。
「どっちにするかな」
紅白のミニバラを見比べていたフランシスがぽつりと呟く。我に返ったように、ティノは反射的に声を上げていた。
「――あ、でもっ!」
スツールから立ち上がらん勢いの大声に、隣のベールヴァルドがびくりと肩を竦ませたが気にしない。あのまま二人してもじもじとしているところをフランシスに見られる訳にはいかないし、何より自分は一応ベールヴァルドの手伝いをする為にここにいるのだ。そこまで花に詳しくないと言えども、この一年弱で随分と学んだ。少しくらいは役に立っておかなければ、甲斐甲斐しく教えてくれたベールヴァルドに申し訳がない。
「赤と白二本揃えると、また意味が違うんですよね」
ん、と隣の彼が頷いて、「温かい心とか、和合とか」と付け加えてくれた。そんな些細なリアクションすら嬉しくて、思わず微笑みが漏れる。
(僕だってちゃんと、教えてくれた事は忘れてないんですよ、ベーさん)
言葉の裏にそんな気持ちを込めていた事を、察してくれればいいのだが。
――ともあれこれで変に甘くなってしまっていた空気を払拭出来ただろうか、と安堵するティノの視界の端でフランシスがまた意味ありげに苦笑しているのを、やはりティノは見逃してしまっているのであった。。