休日のデパートの喫茶店は混んでいるというのが相場だ。
紅茶を好きなだけ入れても許される職場,を選ぶとここになった。有名なデパートの,二階の人気の喫茶店。ホールとキッチンを行き来するアーサーはせわしないが,この仕事は好きなのでまるで苦にならない。
しかし三連休はさすがにしんどい。
15分休憩でスタッフルームに戻ると,思わずパイプデスクに突っ伏してしまった。もう紅茶のにおいを確かめすぎて鼻が少しおかしい。
「あらアーサー,お疲れかしら」
声をかけられてとっさにばっと顔を上げる。
そこにはエリザベータがにこにこと笑っていた。いつもは下ろしている髪を仕事の時はアップにしている。アーサーにとっては先輩であるエルマーの姉に当たる人だ。
「さすがに連休はちょっとしんどいですね」
明らかに年上の人間に対して,アーサーはつい口調に気を遣ってしまう。いつも通り彼女はいいのに,と笑いながら手を顔の前で振った。
「来年はアーサーも休むんでしょうね」
「来年?」
首をかしげて,それから何の日か思い出した。今日は成人の日だ。ということは,来年もアーサーは本来成人式を迎える年だ。といっても,成人式のためだけにあんな実家に帰ろうとは思えない。
「きっと仕事をしてるだろうなと」
「あらもったいない」
もっともな反応なのだろう。
正月に世の流れに乗って仕方がないので少し帰省したけれども,やはり慣れないとずっと感じ続けていた実家はいまさら帰った所で急にやりやすくなるわけでもない。年越しに空を見上げながら,ああ,あいつと居れば良かった,と思ったとたんにかかってきた電話は,一体どれだけ自分の空気を読んでいたのだろうか。
「いやいやいやいや」
思い出して首を横に振る。まさかフランシスからの電話がうれしかったなんてあってはいけない。
エリザベータは突然奇行に及んだアーサーに驚いたようだったが,どうせまたフランシス君でしょう,なんて言う。彼女の弟は,フランシスの友人を落とそうとしているらしいし,当然のように自分とフランシスの関係も知っているらしい。一体どんな許容範囲の広さを持っているのかといつも驚く。
今頃自分の顔はさぞ真っ赤なのだろう。
やさしい彼女はそれ以上は追求してこなかった。もっとも,彼女は内心何を考えているのかいつも不思議な存在だから,内で何を思っているのかは知らないが。
「そうだ,アーサーが来年成人式に行きたくなる写真を見せてあげる!」
写真,写真。
そういえば今日は成人の日を迎え終わったひとたちが,みんなでよってたかって成人式の写真を持ち寄っているそうだ。エリザベータはきれいなひとだから,写真を見せてもらえるならば悪いことではない。
鞄をごそごそとあさってエリザベータは写真を見せてきた。
「わ」
すごくきれい。
アーサーがそういう意図を籠めて声を上げると,ふふふ,とうれしそうにエリザベータは笑った。この日は一世一代の晴れ舞台なのだ。あでやかな振り袖に身を包んで,無理のない笑顔で笑ってカメラに向かう彼女は,やはり美人だった。
しかもその美人が二人並んでいるときた。
「これ……エルマーさん?」
同じようなつくりで,椅子に座っている振り袖と,後ろに立っている紋付きはかま。圧倒的な美貌を誇るこんな姉弟,一度見たら忘れないという衝撃がある。
「そう,弟の和装,いいでしょう?」
この姉弟はそういえばお互いに姉弟バカだ。
しかしエリザベータの振り袖も見応えがあるが,エルマーの紋付きはかまもなかなかの衝撃だった。いつも線の細いイメージのある彼だが,そうしてはっきりと男物の和装をしたら,等身の高さもあって実に見栄えする。
「素敵です」
生まれてこの方和装らしい和装をしたことのないアーサーにとっては,もう見とれる以外仕様がなかった。私服のなかに和装を取り入れている菊にすらあこがれるのだ。ましてこんな写真を見せられてはたまらない。
「振り袖着ればいいのよ」
「えっ」
続いてエリザベータが言い出したことは,単純に驚いた。
「私ね,着付けの師範代を持っているんだけど,使い道がなくてさみしいの。別に着て外を歩けとは言わないから,よかったら一度着てみてくれないかしら?」
写真のなかにいるエリザベータは,今目の前でおだやかにしかし有無を言わせない雰囲気で迫ってくるひとと同じながら,しかし和装で成人式を迎えるがゆえに凛とした空気を纏っていた。
確かに悪くはないけれども。しかし自分は女ではないのだが。
「フランシス君に紋付きはかま着て貰っても良いかもしれないわ」
その言葉にもう一度写真を見た段階で,たぶんだめだったのだ。
確かに目の前にいるエリザベータとよくつくりが似て,それでいて男らしさを備えるエルマーの和装はひどく見栄えがした。しかし,それを自分のことを声だけで満たしてくれるフランシスが着たらきっとさぞ,自分はどこかで喜んでしまうのだろう。
「……考えてみます」
言ってから,これではエリザベータ以外誰が喜ぶのかと考えてしまった。
フランシスにしてみれば勝手な約束を取り付けられて良い迷惑だろう。
そもそもアーサーはフランシスがはかまという条件に頷いたのであって,別に自分が振り袖を着る旨にはあまり納得していない。
しかしうれしそうに,やった,とちいさくガッツポーズを決めるエリザベータのことを無碍にするのは,女性を大切にするアーサーの考えに反するのでいまさらそんなことも言えない。
さて,ほんとうにそんなことになったら自分は笑いものではないかと思ったが,休憩時間が終わってしまったのでそうも言っていられない。
ホールに出れば確かに今日は振り袖の客が何組か来ていて,あんなもの着られるはずもない,と思いながら,しかしどこかでフランシスのはかまを想像して顔がゆるむのが押さえられなかった。