クリスマス,つまり入試の直前である。
したがってロヴィーノは家で勉強をしていた。
彼が家庭教師を頼んでいて,同年代のほかの友人のように予備校に行かないのは,ある程度は父親の過保護さに原因がある。かつて住んだ町にロヴィーノが馴染めなかったことから,彼は未だにロヴィーノのことを心配しがちな傾向にある。ましてそこに,昔住んでいた町の頼りになるお兄さん(父親談)がいれば,ことさら予備校に行かせる必要もない,というわけだ。
まさかその家庭教師と宜しくない関係に息子がなってるとも気づかないだろう,あの間抜けな父親は。
それを考えてからロヴィーノは顔が真っ赤になった。
「宜しくない関係って何だ」
「ん,ロヴィーノなんかわからんとこあったー?」
「な,んでもない!」
クリスマス,つまりセンターまでは一ヶ月を切ってしまったのだ。
この冬休みにいかに足りないものを補うかだとは,散々アントーニョにカリキュラムを組まれているので分かっている。
彼は一応英語を教えに来てくれているが,文系受験をするロヴィーノには大体のアドバイスを与えられた。この時期は世界史を詰め込む時期だということで,15分覚えては短答式テスト,というこの繰り返しが効くらしい。アントーニョが言うから素直にそうなんだろうと思ってうなずくと,ええ子やねぇと頭をなでられた。
無性に腹立たしい。
そう,自分は受験生で,彼は自分の面倒を見てくれる家庭教師。
クリスマス,つまり受験前。
何か期待したほうがずうずうしいのだ。
すばやく問題集に目を落とす。分厚い参考書で詰まるよりも薄いものを回して,過去問で詳細な知識を身につけていけという彼のアドバイスはなるほど自分には理にかなっていて,こんなに分かってくれているのだというのがうれしい。
うれしいのだが,こう,なんていうか。
(俺だけなのかな)
弟は早々に,アントーニョの大学の別の学部に推薦を決めているので,兄の邪魔をしないようにと父と出かけている。クリスマスに父と出かける男子高校生。それはそれで若干どうかと思わないこともない。しかし,こうしてくれているほうがアントーニョと二人になれて暖かいのだ。
だけど,とロヴィーノは手元から一度目を上げて,こめかみ辺りを指で軽く押さえる。
「ん,どないした,ちょっと休む?」
「……ん」
心理学と言うのをやっていると人間のリラックス方法を学ぶ機会もあるらしい。
ロヴィーノが押さえているあたりはちゃんとツボというのがあるらしいと,彼が学んできたその日に教えてくれたのだ。
「センターでだいぶいいとこまで押さえが利くから,一般受験の過去問が絞れると楽やねんけどね」
ぐっと上を向いて首の筋をのばすロヴィーノを,少し高いスツールから見下ろしてアントーニョは言う。
ちょっと待てその視線は何だ。
のけぞらせた首のあたりを見てくる視線が落ち着かなくて,ふ,と視線をそらせる。
「ロヴィーノ?」
「……早く大学生になりたい」
「どしたん」
「そしたら,お前気兼ねなく俺としたいことできるだろうから」
たとえば今日がクリスマスで。
別にデートも何もせんでいいからロヴィーノのために勉強しようとあっさり選んだ事だって。
自分がもう少し大人になれば,こんなこと彼にさせなくていいと思うとロヴィーノは時々考えるのだ。
4つも年下なのに,自分が選ばれて良かったのか,時々不安になるのだ。
ロヴィーノのそんな逡巡を読み取ったのか,アントーニョは首だけ仰向けのままのロヴィーノの目元にそっと手のひらを当てた。暖かくて,根を詰めていった目元が少し解ける。あ,と安心した声が漏れると,アントーニョが笑うのが分かった。
「ロヴィーノは,俺のこと心配せんでもええの」
「なんで」
「大人の余裕繕う暇くらい,くれたってええやんか」
そのまま降ってくる温かい唇の感触は,少し慣れたけれども今でもどうしていいかわからない。
4つも上のアントーニョが,何を考えて自分を選んでくれて,どうすれば自分が彼の気を引けるか分からない。
だけれども,今言ったことは,まるで。
「余裕なんか見せられたら俺どうしていいかわかんねーだろこのやろー」
「そうなってくれたら,昔よりはロヴィーノが何考えてるか分かるもん」
思わず押し付けられた手のひらを払うように首を振ったけれども,思惑通りには行かなくてのけぞらせた喉仏をあいた指がたどった。
ひ,と喉がなる。
「絶対,ずっと一緒に居るから,今は我慢すんの」
「我慢?」
「こっちの話」
さ,やろか,とアントーニョは手のひらをはずした。少しだけ緊張の解けた目でアントーニョを見ると,もう知っている彼の顔だった。だけれども,さっき,触れた指先や,我慢すると言った声は,絶対に,知らない男のような,よく知らないような,或いは知っているけれどもロヴィーノには無意識でしか出せないものだった。
相変わらず子ども扱いするくせに。
そんなときだけ色を含めるんだから。
諦めてため息をひとつ吐くと,アントーニョがまた気の抜けた声で,ロヴィーノ? と尋ねてくる。うるさい,と呟くと,結局世界史の問題集にもう一度目を落とした。