つきあい始めて初めのクリスマスの過ごし方,というものを,アーサーはぼんやりとしか認識していなかった。あまり他人との接触をせずに生きてきたアーサーにとって,クリスマスというのはただ世間が騒々しい季節に過ぎなかった。
しかし今年はそうも言っていられない。
よりにもよって男と過ごすのか,と思いつつ,しかもその男がただならぬ関係にあるとあっては,何かするべきなのかとは思ったけれども,いかんせんこの街に出てきて初めての冬だ。
安普請はよく冷える。
つまり,クリスマスの直前になって,アーサーは風邪を引いてしまった。
クリスマス直前の日曜日だった。
午前中はアーサーの部屋に上がり込んで面倒を見てくれていたフランシスだけれども,内定先の説明会があるとか言って少し早い昼ご飯を食べて出かけてしまった。残されたアーサーはこれと言ってすることがあるわけでもないので,とりあえずベッドで毛布にくるまって,ぼんやりとテレビを見ていたら,いつのまにか眠っていたらしい。
ふと目を覚ませば窓の外は真っ暗で,適当に流していた民放は17時台のニュースなのかワイドショーなのか分からない番組を流していた。とりあえずカーテンを閉めようと思って毛布からなんとか身を引きはがすと,パジャマの上にフリースを着せられていたにも関わらず随分と冷え込んだ。
アパート特有の,意味もなく高さのある窓のカーテンを握りしめる。
ベージュを基調にしてカラフルなラインの入った,遮光性の弱いカーテンを選んだのはフランシスだった。アーサーがこの街に来たはじめ,カーテンは用意していなかった。そんなことにまで頭が回っていなくて,ただ誰もいない空間に身を置くなんて恐ろしくて,だからすぐにはカーテンを買えなかったのだ。
それを,いつのまにか先輩面が恋人面になって,そしてしょっちゅう部屋に上がり込むようになったフランシスに,無理矢理インテリアショップに連れて行かれて,押しつけるように買われたのが,ミルクティのあたたかな色を基調にしたこのカーテンだった。
「俺が居るから,安心してこの部屋にいて良いんだよ」
大学のために一人暮らしをはじめてよく分かったことは,どうも自分は不安定な人間らしいと言うことだ。人はそういう時期を通り抜けて落ち着いていくのだと,フランシスが言っていた。そしてどうやら自分もだいぶ落ち着いてきて,一人で居ても必ず,フランシスのなかに自分がいるから,何の心配もないことを理解できるようになった。
だけれども自分は今風邪を引いていて,そして見下ろした街路樹は黒く塗りつぶされた冬の夜闇の中で葉を落として寒々しくて,部屋に響くのはたいしたことのない出来事を大事のように誇張して喋る女性アナウンサーの声だけで,アーサーは,孤独だと自覚した。
こころぼそい。
この感情に名前を与えたのはフランシスだった。それまでは,自分が不安定で,ひとりで平気だと言い張ることが出来る感情が孤独だなんて知らなかった。アーサーに感情を与えたのはフランシスなのに,フランシスはいま,こうしてアーサーが不安なときに傍にいない。
(仕事だ,しかたないんだ)
寝起きと熱で喉がへばりつく。
胸が乾いてきしんで締め付けられる。
(でも,どうしていいかわからない)
彼が居なければ,自分はどうしたらいいのかと,あまりに不安に思えてアーサーははらりと目に涙をためる。
(帰ってこなかったらどうしよう)
こんなことばかり考えているアーサーのことを,フランシスは時々面倒だという。ならば捨てればいいじゃないかと悲鳴を上げれば,そしたらお前は俺を捨ててくれるのか,と尋ねられた。できるはずがないことを,彼が言って追い詰めるものだから,顔をぐしゃぐしゃにして泣いたら,だから傍にいるって,とか抱きしめられたっけ。
もしこれでこのまま,一人にされたら,どうなるんだろうか。
そこまで考えた所で,ドアの方で物音がした。
そのとき何故そうしようと思ったのかは分からないけれども,アーサーはミルクティベージュのカーテンのなかにしゃっと身を隠した。隠したと言ってもカーテンは不自然なふくらみを見せるわけだし,テレビはつきっぱなしでベッドにはまだ自分が横になっていたぬくもりが残っていて,何よりも彼がこの空間を包み込んでくれるカーテンが開いたままなのだから,アーサーの所在は合い鍵を使って入ってくるフランシスには分かっているはずだ。
ああだってまた自分は泣いている。
今度こそ面倒だと思われて見限られるかもしれない。
玄関のライトがぽちり,つく音が聞こえた。そうしてフランシスは1kの間取りの廊下を歩いてきて,自分が選んだラグを敷いたこの部屋に入ってくるだろう。カーテンやラグや,ベッドシーツやクッション。部屋のドアが開く音が聞こえた。この部屋の何もかもが,フランシスに包まれていると分かっているのに。
(なんで俺はまだこんなにフランシスがほしいんだろう)
「アーサー,どうしたの」
フランシスはスーツを着て出かけていった。仕事のための黒い鞄を備えていた。カーテンごと抱きしめてくれるその手の違和感は,つまり電気もつけなければ鞄も置かずに,真っ先にアーサーに触れに来てくれているのだ。
「お前が,いないから」
「うん」
「不安,だった」
「そっか。ただいまアーサー,風邪でしんどいときに出かけてごめんね」
そう,この男はこうして謝るのだ。だけれども,必要があれば絶対に出かけていくのだ。いつかアーサーもそんな風に振る舞えるだろうけれども,心が弱っているときにだけはこうして抱きしめてほしい。
「ねえアーサー,お土産があるから出てきてほしいんだ」
そう言われたから,無理強いをされたのでもないのにカーテンからひょこりと顔を出すと,フランシスはうれしそうに笑ってアーサーの泣きそうに赤いであろう鼻の頭にキスを落としてくれた。
「冷たい」
「寒かったからね。アーサー,ベッドに戻ろう。ひどくなったら困るでしょ」
なんでこんなにやさしくしてくれるのだろうとか,聞いてもアーサーが好きだからとしか言ってくれない彼。
連れ戻されたベッドで,もう一度アーサーが毛布にくるまるのを見て安心したように笑ったフランシスは,部屋の電気を漸くつけて,テレビを消した。部屋は静かになったのに,ぐっとあたたかい。それからフランシスは鞄の中から紙の袋を取り出す。カーテンやラグや,ベッドシーツやクッションを買ってくれた店の袋から,丁寧に包装された15センチメートルほどの高さの箱をアーサーに手渡した。
「きっと,好きだと思う」
「ん」
フランシスがそういうならば,きっとそうに決まっている。
それは言わずに,アーサーはぺりぺりと几帳面にセロハンテープを指で切りながら,包装紙に傷が付かないようになかの箱を取り出した。白いボール紙で作られた箱の中身はまるで見当も付かないで,もう一度フランシスを見やると,ん,と笑顔で促された。
(本当になんでこんなにあまいんだろう)
彼の目線も,彼にほだされる自分も。
箱を開けると,ワイヤーで編まれた,小さな,手のひらに収まりそうなクリスマスツリーが出てきた。オーナメントは色つきガラスで繊細に作られていて,思わず部屋の蛍光灯に掲げる。
「きれい」
「お前の部屋に置けるの,この大きさだったらちょうど良いと思って」
「なんで」
「お兄さんが,坊ちゃんのクリスマス貰った証拠」
きょとんとしているアーサーの手元から,ツリーを取り上げたフランシスはそれをガラストップの小さなテーブルの上に置いた。うん,やっぱりよく合う,と満足げに頷く。
「ねえアーサー,クリスマスに風邪引いたって良いんだよ。クリスマスでもいつでもお兄さんはお前の傍にいるんだから,来年も再来年もずっと。だから,一人で泣いたりしないで」
そしてそんなことを言う。
なぜかわからないけれども急に目の奥の方が熱くなって,ぼろぼろと泣き出したアーサーを見て,フランシスは苦笑いをすると,今度は毛布を少し剥いで,直に抱きしめてくれた。
あたたかい,香水のぬるまった彼の匂い。
「告白して泣いてくれるなんて,お兄さん感激」
「そんなこと言われたら困る,ばかぁ」
「でも,喜んでくれてる」
フランシスの指摘に,こくり,と頷くと,かわいい,と呟いたフランシスが額にキスをくれた。