天使に分け前

時は一年生はじめの授業の日、大教室の真ん中で、俺は彼を見つけた。

 彼をはじめて見たのは、一年生必修科目の大教室授業だった。フランシスはもうサークルの新歓活動に借り出される学年ではなかったが、それを手伝うからにはもちろんフランシスにも下心はあって、つまり、先輩マジックだ。まだあどけない世間を知らない可愛い一年生が、先輩に当たる男子学生に恋をするというのは大体毎年何処でも起こるロマンスだ。ついでに、そのままだと風評被害が立つ、とサークル会議が開かれるのもどこでも同じらしい。
 だがフランシスはもう四年生に上がっていたし、良い加減そんなものは下らない、大切に出来ないような女子に手を出す男は滅亡すべきだという持論を展開し、要は、大切にできる女子を探しに、下心満載で手伝いに顔を出した。
 四年生に上がってもつるんでいる二人と手分けしてビラを撒いて回る。もし上手く興味を持ってくれる子がいれば、アドレスを交換する準備も万端だ。興味の対象はサークルというより、フランシスに。
 西洋美術研究会、といえば聞こえは良い。もっとも、実質的な活動など、議論と称して集まって漫画の回し読みをしたり、ゲームをしたり、裸婦画と称してエロ本についての議論をしているだけだ。なので、真剣に勧誘しなくてもそういう場を求める人間は来るし、来なければ意味が無いから勧誘をしても仕方が無い、と本当はサークル員も分かっている。いや、一応サークルとして美術館に行ったりもするぞ、年に一回は、と良心に従ってフランシスは付け加えておく。結局のところこんなサークルに入るような人間は、見たい美術展があれば一人で行ってしまうのだ。
 大学で学ぶのはそういうことではないだろうか。
 可愛い娘には適当に手を振って(フランシスは存外ケバい娘は好みではない。女子は白くてふわっとしているのが正義だと言うのが持論だ)、階段教室の半ばに座っている青年二人にビラを撒こうとして、フランシスは手を止めた。
 二人そろって、見た目がストライクだった。
 おおっぴらに公言しているわけでもなければ隠しているわけでもないが、フランシスは性的嗜好において両刀である。美味しく頂けないかな、と遠慮せずに思って、話しかける。
「西洋美術、興味ない?」
「残念ながら、私は国文を専攻したくてこちらに来たので」
 やんわりとした笑みを浮かべる、つやつやと光る黒髪を持つほうの青年は、その髪に指を絡めて白い肌を撫でれば幸せだろうと夢想できた。そして、フランシスにとって、国文は得意分野でもあった。
「あ、俺、サークルは西洋系だけど、国文専攻だよ。どの辺をやりたくて入ったの」
「軍記物です」
「あら、俺の後輩になるわけだ。宜しくね」
 黒い髪の青年は、それまで明らかにフランシスを追い払う意図でつれない会話を装っていた。軍記物といって反応が返ってくる男など、ひろい文学部のなかにさほどいないと当たりをつけていったのだろう。確かに、この大学の国文科に所属する中でも、軍記物を少しでもかじっている教授などフランシスの担当ゼミナールの教授しかいない。そしてさほどいない軍記物を専攻している現役学生の一人が、フランシスだ。黒髪の青年は嘘をついているわけではなさそうだから、きっとこれで興味をもってもらえる。
 隣の金髪の青年は、ここに至るまでずっと黙っていた。自己主張の激しい眉毛が気になるが、それ以外はよく整ったつくりをしている青年だ。黒髪の青年とは対照的に、すこしも表情を動かさないのが魅力的に映る。この手の相手は、篭絡してから見せる表情のひとつひとつがあまりにも無防備で魅力的だろう。抱いた時にゆがむ顔を想像すると、ぜひともここでこの二人組にコンタクトを付けておきたい。
「俺は四年だからそこまでサークル勧誘は本気じゃないんだけど、この分野興味持ってくれる一年生がいるのは嬉しいな」
 ふたりともかわいいし。
 実家生ではなさそうに思えた。かといって、高校から縁があるほど距離が近そうなわけではないこの二人は、きっと大学に入ってから知り合っただろう。そして、どうやらこの二人はさほど他人を寄せ付ける気配が無い。だったら早く手を付けたものが勝ちだ。
「気が向いたら連絡頂戴よ、サークル抜きで相談に乗るよ」
 笑顔でウインク、もし少しでもその気があれば多分落ちる。
 ただ、フランシスは本気で相手をしてくれない相手に興味はない。だから、ここでもし引かれたら、残念、振られた、くらいのつもりになろうと思っていた。
「俺も、お話伺えますか」
 か細い声で言った金髪の青年の表情は、やはり動かなかった。フランシスは正直おや、と思った。恐らくこの子、国文科志望ではない。人数は多いが、それぞれやっていることの違う文学部にいると、大体の系統は勝手に読めるようになってくる。だが殊更本意ではないであろうそんなことを言う心境は、表情の変化が乏しい彼と、笑顔を崩さない黒髪の青年からは読めない。
 嵌まるのならば、とことん暴きたい。だから、真意が読めなくても、拒まなかった。
「喜んで、」「フランシスおい授業はじまんぞ」
 携帯を取り出そうとしたところで、見覚えのあるようなないような教授が入ってくる。三年前の必修で世話になった教授など覚えているはずが無い。一年生の二人はどちらも机の上に携帯を出してはいなかったし、あまり長居すると難がある。フランシスは一瞬迷うと、本来配るはずだったビラの片隅に、携帯のメールアドレスを書き付けた。
「俺はフランシス・ボヌフォア。メール貰ったとき驚かないように、名前だけ教えてもらっていい?」
「アーサー・カークランドです」
 青年の声はやはり感情の変化に乏しかった。だけれども、答えてくれるということは、少しは彼の中で何かが動いたのだとすればうれしい。じゃあ、このアドレス、と書き付けたビラを手渡すと、存外丁寧な手つきで彼はそれを受け取った。
「いつでも連絡くれよ」
「ありがとうございます」
 最後まで表情を崩さなかった彼だが、その声に険は無かった。背後の悪友があいつ俺の単位落としやがってとか呟き始めるのが聞こえたので、長居は出来ないとひらり手を振る。二人の青年はこくりと会釈をくれた。

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すべてはここから始まった。学生街フラアサのそんなシーンです。
またこの本はカワセミさんとの合同誌なので、後半パートは社会人×三年生のカワセミさんパートです。