手が伸びてそれから

※ガリ男の名前は「エルマー」としています


 驚いたのは,間違いない。突然部屋に上がりこんできたかと思えば,何かたくらんでいるのかわからない。読ませてくれる相手だと思ったけれども,そういえば自分は風邪を引いて判断能力が鈍っている。だから,ベッドに横になって休んでいたはずの体をまたぐようにギルベルトが来ても,え,と呟く以外即座に出来なかった。
 風邪を引いたら,大体プリントなんて一日放置されているものだと思う。
 それをわざわざギルベルトが届けにいっていいかと尋ねるメールをしてきたことにまず驚いた。先だってキスをぶちかました身としては,そんなことで期待していいのか分からないのだ。そもそも自分には年子の姉がいる。それを差し置いてくるほどの理由がそこにあるのだろうか。だけれどもあの薄そうな見た目に反してやわらかかったくちびるの感触を忘れられないのもまた事実で,断る理由もなくて了承をすると,本当に彼は来た。
「ありがとう。姉さんに預けてくれたらよかったのに」
「今日エリザ,本田と本屋らしい。遅くなるから面倒見とけって頼まれた」
 ああ,と納得した。姉は本田をかなり同類として好いているらしい。それでぬけぬけと自分を好いているはずの男に弟の面倒を見させるなんて,とは思ったけれども,それはエルマーの意思を尊重するエリザベータの思惑かもしれない。とりあえず,ギルベルトを好いているエルマーとしては,悪いシチュエーションではない。
 ベッドから身を起こそうとしたけれども,具合が悪いなら横になっていろ,と言われて,もっともだから従った。そもそもギルベルトは近くにいたお兄さんなので,本質的に逆らおうとは思わないのだ。ただ立場的に下克上をしたいだけで。
 幼馴染の家だということで彼にとって勝手知ったる冷蔵庫には,姉が買い込んでおいてくれたアクエリアスがある。それを伝えたのはギルベルトに飲んでもらうためだったのだが,なんと彼がわざわざベッドの際まで持ってきてくれたから驚いた。
 何を言いたいのか,黙ってその表情を見るけれども,特にこれと言って読ませてくれない。つくりだけ見れば精悍で,赤みの強い不思議な紫の目をしたギルベルトは,ふわふわして小さかった頃の自分にとって紛れもなく憧れだった。結果的に自分自身を守るために喧嘩っ早くなっても,ギルベルトに幼い頃に抱いていた感情は変わらない,むしろ小さな頃守ってくれた恩返しをしたい,それが恋の始まりだったような覚えが,ないこともない。
 しばらく自分はベッドに横になってぼんやりし,ギルベルトは床でクッションにもたれて何か漫画を読んでいた。ギルベルトの視線が漫画本に落ちていることに安心して,エルマーはぼんやりとその姿を眺める。
 文化祭でキスをしたのは弾みだった。
 無性に,欲しくなった。
 届かないけれども,手に入れたかった。
(人の体って,やわらかいんだな)
 エルマーはキスが初めてだというわけではない。
 だけれども,ずっと焦がれていたくちびるは甘くやわらかかった。
 不意にぎしり,という音がして,は,と我に帰る。漫画本を床において,諦めたようにギルベルトがため息を吐く。何かを読み取られたのだろうか,と一瞬考えたけれども,その結論を出すより早くギルベルトがベッドに乗り上げ,手首を掴みエルマーの上に跨った。
「どうしたの」
 零れた声は掠れていた。
「エルマー,おかしくなる」
 ギルベルトの言い分は,いつもの大暴れしている彼の心証からすれば信じられないほど切羽詰っていた。吐いた自分の息が熱くて,ギルベルトはエルマーの額に掛かる髪をかきあげて,額を寄せてくる。こつん,とする仕草がひどくいとおしい。
「上下ひっくり返したいんだけど」
 なのでことさらゆっくりと余裕を装えば,ギルベルトがいつものように見下ろす視線の酷薄な表情で笑った。ギルベルトがそんな表情をしたくらいでいまさら驚いたりはしない。そんな顔をしたって無駄だよ,と呟くと,額を寄せたままもう一度息を吐く。
「ギルベルト,好きだよ」
 ギルベルトは知ってる,と答えた。だけれども,ギルベルトが知っているよりもずっとエルマーのほうが深く好きだと言うことを,改めて口にしようとは思えなかった。

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続きを書きたいけどいろいろとギブ。
ギル視点で続き書きたいと思います。
20081025初出