悲願此岸彼岸

その日は,どこを見ても砂煙で曇っていた。


 ほとんど,血のにおいはしなかった。一日中戦争をしていても,それだけが,彼と続けた百年の戦争と,今日の違いだった。だって,今日は圧倒的多数の平民による,まるで圧迫という手段だけを用いたような,少数を踏みにじるような,それでいて自由を勝ち取ることの出来るような,そういう日だから。
 フランスは空を仰いだ。
 祝砲が鳴り響いている。あるいはそれはまだどこかで戦闘が続いている音なのかもしれない。この国は解放されるのだ! 自由と,平等と,友愛の名の下に! どこからそんな声はいくらでも聞こえてくる。成る程大いに結構だ。ああ,なぜこの頭は割れるようにがんがんと痛いのだろう。
 パリと,それからさほど遠くないヴェルサイユ,そしてこの誇りたかい言語を用いる,フランス国民。だから,彼らはいま彼らの誇りを踏みにじるあらゆるものを克服した。踏みにじられた者は踏みにじり返し,踏みにじられた物は取り返した。
(それは,誰かの終わりを意味している)
 昨日まで,フランスはあの華やかなるヴェルサイユやパリの宮殿の中で,国を動かす人間を見ていた。そして今日,フランスは誰も自分の個性を気にしないであろう群衆の中で,ただ呆然とその騒ぎを見ていた。
 いつの間にか,自分はこうして姿を変えていく。
 昨日までは貴族のように,今日からは平民のように。
 そしてきっとそれがフランスの望む変化なのだ。
 自覚がないとしても。
(明日は軍人かな)
 押し寄せる頭痛の中で,まずフランスは自分の変化を皮肉に思った。
 多くの人が喜ぶことで,滅びていく人種がいるわけだ,といまこの国の中で知っているのはフランス自身だけだ。ああ,あの男は知っている,とそれからフランスは気づいた。そしてそれも皮肉に思えてやはり笑った。
 かれこれもうしばらく連絡を取っていなかった。
 おそらく連絡をしても突っぱねられるのが関の山だろう。
 その状況に追い込んだのは紛れもなくフランスだった。だって,彼が自分のせいで傷ついてしまう様を見たかったのだ,と告げれば,どうせ悪趣味だとののしりながら,あのさして華奢とは言い難いがとかく色気のない体が蹴りを繰り出してくることは想像に難くなかった。あるいはそれでもいい。
(こんなに,遠いくらいならば)
 足下に銃弾が降り注ぐ。きっとまだ由緒正しいブルボン王朝の絶対を信じている人間はいくらでもいて,こんな平民の形をしているフランスを放ってはおけないのだろう。あるいは自分が頭を打ち砕かれてしまえばどうなるのだろうとほんの少しだけフランスは夢想した。けれども,それを実現しようとは思えなかった。
 いつのまにか手にしていた銃で,降り注いできた銃弾の方向を狙って撃ち返す。すぐに銃弾の雨はやんだ。まだ頭痛はやまない。いつか訪れる平穏は,この心を,この身を,どこへと押し流すのだろうか。

「あいたいなぁ」

 ぽつりこぼした言葉の意味は,自分でも問い切れなかった。
 それがフランスの生まれ変わったとある一日だったと,砂煙とともに覚えている。

***

祝ってます。
フランス革命の価値をどこに見いだすかを常に考えています。
20090713