食について

久しぶりに訪れた隣人の街のマルシェは,相変わらず喧しい。


 するすると街の中を抜けていく,そこそこ背の高い目立つ金髪を追う。身長が追いついたことは,まことに遺憾ながら,ない。そんなことをわざわざ気にするような性格も関係でもないけれども,ただ面と向かっているとき,いや今見ているのは背中だけれども,その身長についてたまに意識すれば,結局のところ自分は未だに彼に追いつけてなどいないのではないかとたまに錯覚する。
 そんなはずはなくて,もう初めて出会ってから考えれば千年どころではないほどの時間を共に過ごしてきて,欧州の列強として確固たる地位を気づいている自分がたかだか隣国の身長ごときで悩まなくてはならないはずはないのだけれども,ただその見慣れた後姿を視界で追いながらマルシェの中をするする2人会話もなく歩いていけば,そんな亡羊とした思考が訪れることだってある。
「イギリス?」
 振り返って尋ねてくる声は,やはり小さなときに向けられたものとよく似ていた。
 けれどももう時勢は21世紀になって,国力の話をすればけしてフランスには負けるはずもなくて,だからそのギャップを埋めなければならないと言う義務感に駆られてイギリスは,ぶっきらぼうな返事を返す。
「何だよ」
「特に食べたいものないの? お兄さんがメニュー決めちゃっていい?」
「別に,問題ない」
 わざわざ彼の美味な(遺憾なことに,真に遺憾なことに)食を逃す必要性もなければ,食について自主性のあるわけでもないイギリスは,そんなことでわざわざフランスに注文をつけるようなことはめったにない。どうせ何が食べたいとか言わなくても,たぶんフランスはイギリスの嫌いなものははずすし,食べたいものをどういうわけか見つけてくるのだ。
 そーぉ,と気のない返事をして,フランスはまたイギリスの半歩くらい先をするすると抜けていく。後ろからついていくような形になってるのは何のことはない,このマルシェについて詳しいフランスがイギリスを先導しているからだ。
(ついていくなんて)
 久しぶりすぎて,ふさわしくない気がする。
 久しぶりだと言えば本当のところ会うこと自体が久しぶりで,だからこんな風に違和感を感じるのかもしれない。ユーロスターを降りてすぐに,殆ど書類しか入っていないかばんをさりげなく持たれて,少し遅いランチの材料を買いに,とここに来たのだから。
 もっと,触れたいのだろうか。
 半歩先を行くフランスの手を,自分より大きな手の人差し指を,無意識ですっと掴んだ。掴んだといっても親指と人差し指で摘んだような,色気も何もない,本当に捕まえただけだ。それでも,フランスは驚いたように振り向いたし,自分も何をしているのか意味が分からなかった。
「……手,つなぐ?」
 何食わぬ顔をして,彼はそんなことを言いながら,イギリスの指を絡めとって,5本の指と指とを絡み合わせた。そんな距離を作ることがたやすくない自分を知っているのだとしたら,あまりに強引でやさしくていつも困るそんな小さな出来事。
 小さく頷けば,フランスがとろけるように笑う。
「寂しくないよ,こんな近くにいるんだから」
「……ばかぁ」
 吐き捨てながら指を握りこむ自分も,大概どうしようもない。

+++

「レタス?」
 のぞきこんだ店先で手に取った野菜は,なんに使うのかよく分からずにイギリスは声に出して尋ねる。
 レタスよりはキャベツのほうがまだ始末に終える気がする。火を通すことが出来るからだ。レタスはあまり火を通す食べ物ではないし,火を通さないから少しずつしか使えなくて減らないし,イギリスはとりあえず食材は火を通してあわせればいいと思っているので,レタスはレパートリーにないのだ。
 まあおそらくフランスに言わせれば,レパートリーなぞあっても無駄に過ぎないだろうが。
「サラダでも作ろうかと思って」
「サラダ」
 素直に復唱してみて,サラダははて作るものだろうか,と首をかしげる。フランスはそんなイギリスの動きを見透かしたかのように苦笑いをすると,店主に,これちょうだい,と声をかける。
「イギリスは,確かにサラダなんて野菜切ってドレッシング合わせるだけって思うだろうけどね」
 あまつさえそんなことを言われたら少しだけ腹立たしく思ったけれども,食に関してはフランスと争っても仕方がないと重々承知しているのでおとなしく言うことを聞いておく。
 繋いだほうの手をぐっと握りこんだことくらいは許されてしかるべきだ。
「一番綺麗な色をしているのは,自然の植物だってイギリスが思うでしょ?」
 だから,一番綺麗な色をしたレタスを選ぶの。
 そんなことをふわふわと口にしてしまうフランスが腹立たしい。
「だからお兄さんは坊ちゃんのためにレタスを買うの」
「……勝手にしろ」
 毒づかずにいられないのは,彼がもう少し自分を判っていないほうがまだ逃げ道があるのに,と思うからだ。

+++

 フルとまでは行かないけれども,一番カジュアルではない遅めのランチの締めに出てきた焼きりんごを,厳密に言えばりんごにかかった白いソースを見て,イギリスはおもむろに顔をしかめた。
「なんでお前ってそんな悪趣味なの?」
「はあ? 坊ちゃんに悪趣味って言われる覚えはないけど」
 ニヤニヤしながら言うその表情は間違いなくイギリスの言いたいことを分かっている顔だ。
 その白いソースは,フランスが自国語でイギリスを呼ぶときの名前がついている。白くふわりとした,シンプルな素材の味のするソースだ。まだイギリスが小さなときに,当時遥かに文化の発展していたフランスでは用意がたやすい食材がまるで島では手に入らなくて,だからフランスがあるもので作ってくれたそのやさしい味わいが,イギリスは嫌いではない。
 嫌いではないだけに,余計に。
「イギリス,好きでしょ?」
 自分の国の名前のついたソースを好きとも嫌いとも言えるかばか!
 とでも罵ればいいのだろうけれども,幸か不幸か妙なところで律儀なイギリスは,そんなフランスの思いやりを無碍にも出来ずにだまりこむ。
「まあいいから,召し上がれ,坊ちゃん」
「……お前って何でそんなに俺のこと好きなの」
 意趣返しを込めて,せいぜい少しは慌てふためけばいいと思って,口にした言葉はあっさりと跳ね返される。
「イギリスがかわいいから?」
「ばぁか」
 本当にフランスに食を任せば碌なことを言わない。
 碌なことを言わないと分かっているのにフランスの飯を楽しみにしているのは,ただ美味いからだ,とイギリスは内心でだけ言い訳をした。

***

また三本立て。そのうち食について♯2とか出そう。
アングレーズソースが出来たきっかけとかぜんぜん調べてないのに,そんなだといいなと思いながら子イギについて考えてたら頭ぱーんです。
若仏子イギ時代に思いをはせる現代仏英はとてもいいと思いました。作文。
20090206