時所変われば,また恋に落ちる

どこまでも,自分の匂いを纏っているのに気づかないで


 籠絡という言葉は嫌いではない。
 フランスは書面上に並ぶ国を見渡して思う。
 ただひたすらかの名を取り戻したかった,帝国と呼ぶにはあまりに脆弱な体制の子供は,力を奪われてすっかり静謐なところへ向かっている。そしてこの地域をとりまとめるにふさわしい名を与えるべきだと,この辺りの国家たちがおしなべて言うようになった。
 神の名の下に正義を振りかざす。
 フランスは別に神などあまり信じても居なければ,神が居れば全てが救われるのは嘘だというのを,この辺りの国家よりも少しだけ早く知っていた。そう,神に遣わされた少女さえも火にくべられるならば,神に祈ればただそれだけで救いを賜ろうだなんて虫が良すぎる。
 海を渡ればいくらでも同じ神を信じるのではない者たちが居て,そして彼らに対して神の名の下に正義を振りかざすのは愚かだと,いい加減誰もが認めるべきなのだ。そのために歴史を繰り返して争いを起こした所で,誰も救われないのに。
 かつて百年争った彼を,ふと思い出した。
 自宅の書斎で。
 この地域を焼き払った戦争の後処理の書類にペンを走らせながら。
 今この大地を支配しているのは,不思議とフランスだ。別に土地の話ならば並び立つ者はいくらでもいる。しかし,このフランスの言葉を,今どこの貴族もが用いる。この辺りの文化をフランスは支配している。もともと戦って負けるわけではないが,戦うことにはもう飽きていた。
 別に自分が何かの矢面に立っても良いから,このまま,すべてが落ち着けばいいのに。
 そう考えるたび,ちらりちらりと茶がかった金髪が不思議に思い出される。

 結局の所,彼と他者の小さな違いにして絶対的な違いは,二人を隔てる海の存在なのだと思う。
 だからフランスは決定的にイギリスに手を出せない。イギリスも徹底的にフランスをつぶせない。互いをたたきのめすという意味でもそうだし,触れ合って求めてという意味でも同じ事だ。
 フランスに神の不在を知らしめたのは紛れもなく彼だ。
 だからフランスはこのところの,この地域に蔓延していた宗派の争いそのものを実に下らないと,個人的には思っていた。
 それが口実で,自分がちゃっかりまた覇権を握ろうとしていることはさておき。

『お前を救う神が居るならその目は節穴だ,俺を救う神が居ても,やっぱりその目は節穴だ』

 かつて彼はそんなことを言っていたっけ。

 フランスはペンを持ったまま随分と長く座っていた椅子から立ち上がり,書斎の窓を開けた。裏の庭には薔薇が花開いていた。みずみずしくそしてかぐわしい香りを放つ花はしかしどこか落ち着かず,そして自分がそう考える理由をフランスはよく自覚している。
「お前がここにいてくれたらね」
 フランスはそれを実現できると思っているほどもう若くはない。
 幼かった彼を思う気持ちはもう遙かなる郷愁に過ぎない。
 しかし時としてわき起こるこの凶悪なほどの恋情を押し殺せるほど落ち着いても居ない。
 要は恋に捕まったまま,帰れない迷子なのだ。
 あの花が一番似合う国から。
「俺はただお前を手に入れたいだけ」
 たとえば大陸をどれほど支配しようと,植民地を如何に上手く転がそうと,それでもあの島国に勝てなければ何の意味もないのだ。随分と幼い頃から知っている。不安定な細さを孕む,まだ子供と呼べる彼と百年間殴り合いをして,その間に彼は凄然とした目線を備えた。彼の体の部分一つ一つを,目を閉じれば思い出せる。
 なのに,それを全て組み合わせた今のイギリスの姿が,どうしても見えない。
(……ああ,欲しい)
 その感情は若い頃のようながむしゃらに全て手に入れなければ気が済まないようなものではなかった。あるいは都合良く例えば寝るだけの仲になればいいのかと言えばそんなものでもなかった。
 端的に言い表すことの出来ない感情の存在を,認めることは出来る。
 イギリスはどうなのだろうか。
 フランスが少し調子を上げて暴れ回れば,絶対に彼はフランスをたたきのめしに出てくる。そのたびにフランスはほっとするのだ。ああ,まだ彼の興味の範疇に,自分は許されている,と。
 だからまだ戦いをやめられない。
 安定した居場所を求めても,彼がそこにいないんじゃ意味がない。
「……どろどろする」
 感情のやるせなさに,思わずはき出す。
 彼以上,自分の思考を奪う相手など,神ですらかなうはずもない。
 ふと風が吹いて,やはりどうしてもフランスがここにあるべきではないと考える花の香りが鼻腔をかすめる。意味もなく腹立たしく思えて,手にしていたペンを庭の花に投げつけた。花はただペンを受け止めて揺れただけで折れるでもなく,むしろその香りを強めて書斎の中のフランスに訴えかけてくる。
「その,花の名前を教えてやったのも俺だってのにね」
 俺よりもずっといとおしそうに,選ぶものがあるんだよね,イギリスには。
 言った所で詮のない感情を押し殺し,軽く窓を乗り越えてフランスは庭に落ちたペンを拾いに行った。

***

三十年戦争〜ウエストファリア条約あたりがお題でした。分かりづらい。
でも大事なのは片っ端からフランスの影響を受けたイギリスの下りです。
ってひとに言われてはっとなった。
自分の言語や習慣の中に当たり前に兄ちゃんが居ることに無自覚になってるイギ。
それも本人同士の距離がある頃。ひいい

しかし大事なことを先にぶっちゃけておくと,roseはフランス語が先か英語が先か知りません。
もし嘘だったらなんかうまく焼き直してあげ直すのでそっと注意してやってください…。
17世紀の兄ちゃんはきっと最高に若エロいと思う。
20081223