シトラスよりも甘いサガ
何の意味もないよ、と言う割に。※「ヒエラルキーの底」さんのお話の設定に拠ります
今日の自分がいつもよりも攻撃的な様相を帯びているらしいことは,バックヤードのオーナーも気づいていたらしい。まず,いつも踊る前にフランシスにけんかを売りに行く所を,それをしなかったのがひとつ。そして,いつも連れが居るフランシスがひとりなのがひとつ。あとは,投げ込まれるチップの量がいつもよりも多かったと言うこと。
「アンタは何をしてもエロいから良いけどね」
「そうですか」
別にエロいと言われて喜ばしいと思っているわけではないが,その方が店にも貢献できるし,自分もよく稼げるので文句はない。つまりこの店で求められているのはそういうアビリティなのだ。そのルールの中で働いているのだから疑問も文句もない。そもそも仕事が嫌ならば,これほど割がよくなくても働き口は何かあるにちがいない。
そんなことはどうだっていいのだ。
「あの人,アンタの何なんだい?」
「幼なじみに分類されると思います」
「そうかい」
オーナーはまたうれしそうに笑った。
どんな生き様を辿ってきたのかは詳しくは知らないが,一周回ってロマンチストに戻ったのだと自分では言っていた。ならばそういうものなのだろうとして,なぜオーナーがアーサーに対してフランシスのことをここまで追求してくるのか,わかるようでわかりかねた。
いつものように気づかないふりをしているだけかもしれないけれども。
「覚えとくと良いよ」
オーナーはアーサーとの会話に満足したらしく,楽屋に向かうアーサーを止めなかった。別にアーサーは汗のにおいの漂うまるで高校の男子運動部のような大部屋も嫌いではないのだけれども,それでは稼ぎ頭としての立場がたたないから,とりあえず個室を与えられている。
その背中にかけられた声に振り返る。今日もエナメルのビスチェが汗で張り付く。この感触は好きではない。ぴとり,という音に,居もしない男の影を感じ取るのは,たぶん単にフランシスがここに通い詰めているだけだ。
「機嫌が良い日,アンタ足の角度よく開くから……ストレッチを忘れないようにね」
見せつけてるみたい。
自覚がないことを指摘されて,しかもそんなことを付け足されて,ああ,からかわれているんだな,と理解はした。だけれども,からかわれるような間柄ではないのだ。少なくともアーサーの方にしてみれば。
たとい彼がひとりでわざわざ足を運ぶことに動揺したって。
「股を見せつけた程度で,アイツは俺に惚れたりしません」
自分で言い返した言葉は,何を言いたかったのか自分でもよく分からなかった。
ただオーナーが楽しそうにそう,と頷いたので,きっとまたどうしようもない奇妙なことを口走ったのだろうとだけは自分で了承しておいた。
アーサーにとってこの賭けで得る所はあまりない。
しつこく貢いでくる彼のおかげで,金の入りだけは良いけれども,稼いだからそれで遊ぶかと言えばそんなこともなくて,単に貯金に回しているだけだ。もとよりアーサーは贅沢という趣味を持ち合わせていなかった。幼い頃から自分の自由になる持ち分というのが何にしても少なかったせいで,贅沢な遊び方をしてもあまり意味を見いだせないのだ。
ましてこんな風にフランシスにからかわれるネタにされて,正直な所,別にこの仕事でなくてはならないという理由はない。だけれども,あの目が熱っぽいと,なぜか引けなくなってしまうのだ。
(捕まってる?)
例えるのならばそうなのだろうけれども,まだアーサーにはぴんと来ていない。
あの目が好きなのはそれこそ昔からだ。別に恋だとかそうではないとかそういう云々を差し置いても,フランシスの見た目を幼い頃からアーサーはずっと好いている。特に目の色が良い。今となってはのぞきこめば絶対になんらかのセクハラをされるから進んではのぞきこめなくなったけれども,アーサーよりも少しばかり広い世界を見ているあの青い目は,とろけそうだと思って見ていたことならば何度でもある。
(ばかばかしい)
何のメリットもないのだ,こんなやりとり。
幼い頃からすてきだと思っていた男は,気づけば見た目が一定ライン以上なら誰彼構わず,それこそ男女構わず自分のような相手にさえも手を出すケダモノだ。近づいたらかみつかれる。現に近づいて,かみつかれたのではないか。
簡単に落ちないで居るのが,そんなにかみ応えがあるのだろうか。
アーサーも別に恋愛の駆け引きは嫌いではない。
落ちない相手というのはとかく落とし甲斐がある。魔性というのは随分と魅力的な言葉だ。ダンサーとしての自分がそんな風に言われるのはあまり収まりがよくなくて困るけれども,衣装とヒールで武装をしたときの姿をそう評されること自体は嫌いではない。
だけれども仕事上の自分の姿は言ってみれば女の化粧のようなもので,装うことで何かを隠しつつ大胆になることは出来ても,それを落としてしまった自分の姿をやはり惨めに認識しなければならないことなんかもたまにある。
(じゃあ,なんでアイツは今日来たんだろう)
今日彼が来たのは偶然だった。もともと仕事だと言って来られない旨を伝えられていた。ショーが始まって受付ががら空きの隙に女々しく予約表に目を走らせたけれども,いつもの名前はやはりなかった。あったのは一人客のキャンセルが一件だけだ。
それなのにトリでアーサーが踊り始めたら,彼はそこにいたのだ。珍しく,いつものように伊達男を装っては居ない,仕事帰りの眼鏡にノートパソコンを携えた姿だった。それでも彼は来たのだ,今日一人で来ても,アーサーとの賭けにおいては何のメリットもないのに。
「何がしたいんだよお前」
予想通り楽屋口で待っていた男からは,疲れの匂いが如実にした。今日はどこか,買い付けに行くから戻れないとか言っていたのではなかったのか。
「どうしてもアーサーに会いたくてさ」
「そういうことは惚れてる女に言え」
またそうやってポーズだけを取る。ひとりで来たって今日は彼の方にメリットがない。元々この賭けにおいてアーサーにはメリットがない。つまり,今こうして二人で顔をつきあわせた所で,何のメリットもないはずだと,アーサーは自分に言い聞かせる。
「でも普通に会うって言ってもアーサー会ってくれないだろうから」
どきりとした。
どんな顔をして良いか分からないので,なるべく平常のすがたでは彼に会いたくないというのが,今のアーサーの偽らざる本音だった。別に会わないなんて事をするわけではないけれども,どこかで拒絶を見せてしまうことは分かっている。そう,あの初めて,になりえなかった夜のように。
「お前何がしたいの」
「会うのも,だめ?」
何かを畳みかけようとしたアーサーの声は,しかし,フランシスの目に遮られた。仕事用の香水であるシトラスノートに彼の汗のにおいが混じり合った,雄の匂いに仕事でもないのに何かが反応しかける。オフのときにくるあのいっそ女物かと紛うほどのバニラの匂いではない,生々しさがかえってぐっと目線と共に押し寄せる。
「別に,だめじゃないけど」
流されてばかりで,面白くない。目線を落とすと肩を引き寄せられた。反射的にその青を睨み付けると,引き寄せるのに使われた腕はあっさりホールドアップ。家まで送るよ,と勝手に決められていて,別に御婦人でもないのにそんなこと要らないとは言えない自分の浅ましさが嫌になる。
「会いたかっただけ,別に意味なんてないよ」
フランシスは今更答えのようなものを寄越してきた。
彼の言うとおり何のメリットもない,もう一度確かめる。
女王を装っているだけじゃない,自分の本質は彼ごときに損なわれてなるものか。
「――送り狼が」
「今のところ,美味しそうな餌を前に尻尾振ってるだけだよ」
もう一度腰に回された手に,今度はあらがわなかった。そう,これが自分の姿。彼になんか落ちてたまるものか。かみついたら噛みあとだけで満足するような男に,ほだされてなんかやるものかと確かめるように胸の中で呟く。
上機嫌だとよく見せつける,というオーナーの指摘が胸をよぎる。
(上機嫌?)
フランシスの手はそれ以上を企まない。それを意識よりも下で知っているアーサーは,フランシスに促されるように歩き出しながら,首を捻る。アーサーはあまり自分の感情のベクトルを理解できないことを自覚している。それにしたって,オーナーがそういうならばきっと自分は機嫌が良いのだ。だとすればなおさら,何のメリットがあって。
「ねぇアーサー」
「なんだ」
「今日見に来れて,良かった」
何を言い出すのか,アーサーには理解できなかった。ただその横顔を少しだけ見上げると,眼鏡の影にありありと隈があった。またふわりとシトラスが香る。多忙を極めていたのは間違いないはずだ。それをわざわざ押してくるなんて尋常じゃない。そう,尋常じゃないのは,メリットもないのに,このむせかえるほどの彼の気配を感じて,どこか心の落ち着く所を見つけたアーサーだ。
別に,彼を喜んで受け入れられるわけではないのに。
どうすれば彼を理解できる。
どうしたら自分を理解できる。
混乱はステージのあのまぶしすぎるライトに似ていた。頭の中が真っ白に毒される。それでいてシトラスのように,どこかでは割り切れた。ただ,アーサーがそれを受け入れられるのにまだ時間がかかることは,フランシスの方が実はよく知っている。
***
懲りずにヒエラルキーの底のまひるのさんに献呈したく。
アーサーがオトメ過ぎて申し訳なくてアレですがそれでも! 敢えて!
どうでもいいですがタイトルが決まらなくて四苦八苦しました。
20081213