青春エナメルグラフィティ


 手首を託した手のひらの付け根辺りが肉厚で,なぜかほっとしてしまう。どうにかしようとは思わないけれども,やはり恥ずかしいような気もした。けれども,フランシスに爪のあたりを触られていて,手を動かすに動かせない。
 都合のいい生き物が,自分の手を取ってそれはもうひどく楽しそうに刷毛に色を乗せるものだから,アーサーはもう今更ため息もつかずにそれを見守った。少し頭の悪くなりそうな匂いが部屋に充満している。
「料理が出来ないことにいいわけ作ればいいんじゃない?」
 というフランシスの言い分が,この状況を生んでいる。ところは生徒会室。中にはフランシスとアーサーの二人だけ。時は文化祭前,どこの学校にでもよくある事態で,フランシスとアーサーのクラスは女装喫茶をやることになったのだ。しっかりとした肩幅の青年たちがメイド服を着て何が楽しいのかいまひとつよくわからないが,こういったものは毎年どこの学年でも起こる。ちなみにもっとも張り切っているのは別のクラスの本田である。
 さて,生徒会長と副会長の権限で,二人のクラスは調理場の備わった家庭科室を模擬店の場所としてもぎ取ったわけだが,ここで問題が生じた。つまり,生徒会長をキッチンのシフトに入れるかである。
 調理実習もクラスで何度も経験している以上,ほぼ全員がアーサーの料理の壊滅具合を知っているはずだが,担任が一応全員名前は載せておけよーと暢気にのたまったものだから,ホールとは別のキッチンのシフト表にもアーサーの名がある。
 げっそりしていたのはアーサー本人だ。
 自分の料理の何がおかしいかは分からないが,おかしいということについて自覚はある。それを学校を見に来てくれた人に振舞うなんて,と真剣に唸っていた。そこでフランシスがいつもどおり一肌脱いでいるわけである。やり方はさておき。
 つまり彼の提示したのは,「マニキュア塗ってるから台所には入れません」と言い張れといういいわけである。そんなの別にマニキュアを塗っていても料理は出来るしそもそもそれ以前に男がマニキュアとかと反論しようと思ったが,クラスの面々がまるで救いの神を見るような顔をしてフランシスの提案にもろ手を挙げて賛成したものだから,アーサーは丸め込まれざるを得なかったのだ。なんだお前らそこまで俺の料理に文句があるのかと言おうかと思ったけれども,心当たりがありすぎたのでぐっと堪えた。

 暑さがぶり返して外は少しだけ暑いけれども,室内は冷房が効いていて我慢が出来る。本当はマニキュアを塗るときには換気のために窓を開放した方がいいのではないかと思ったけれども,今更そんなことを指摘する意欲もわかなくてアーサーはもうずっと先ほどから黙っている。刷毛は一度指を往復しただけでは足りないらしく,最初に透明の液を塗った後,二度色を乗せて,最後にまた透明をかぶせるらしい,とフランシスに説明されて気が遠くなりそうになったが,これもクラスのための作戦である。アーサーは自身の料理の腕に難があるがためにこの状況になっていることを自覚はしていたので,もうされるがままである。
 フランシスは二度目の色を乗せ終わって,勝手に満足そうに頷いた。マニキュア自体は女子の所持品だが,女子に手を取られるのはアーサーの心境的に無理だったし,だからといって自力で塗るのも抵抗があった。そこでまたフランシスがしゃしゃり出てきたのだ。まったく煩わしい。
 肉厚の手のひらに手首の内側を乗せて,と要求されて,はじめこそ緊張の余り手首が痙攣していたが,もう慣れてしまってすっかり力も抜けている。ただからだの一部を彼に預けているという状況は,なかなかいろいろなことを思い出さされて,丁度良くフランシスが一休みと声を掛けた瞬間ひったくるように手首を回収した。
「なにその反応ー」
「…くすぐったい」
 適当をでっちあげて,頬杖をつくとアーサーはふいっと外を見た。
 伴侶を見つけられなかった蝉が大声で鳴いている。
 9月になってまだ独り身の蝉に同情する余裕はなかった。
 先ほどまで乗せていた手首をフランシスが掴む。
「何」
「目を引くから,手が」
 なんか,誘ってるみたい。
 顔を上げるとフランシスは思いのほか真面目な顔をしていた。だから目をそらすタイミングを逃した。そう,意外な表情に驚いたせいであって,断じて一瞬そのつくりに見惚れてしまったからではない,アーサーは自分に言い聞かせる。顔が近づいてきて,生徒会室でくちづけても反発できない。
 この頭のおかしくなりそうなマニキュアの甘い匂い。
 お前が女装なんてして俺耐えられるかな,なんて物騒なことをフランシスが呟くものだから,アーサーは,お前も女装するんだからな,ともう半分くらいとろけてしまった脳みそで答えておいた。

***

文化祭編!
ちょっと九月の半ばくらいまで強化していきたいですよねー文化祭編(誰に言ってるんですか)。ってことで仏英で続いたり他のカプでやったりするかも。学パロの不安定さがほんと愛しくてたまりません。お前らもっと他にも色々見ることあるだろって言いたい。いや書いてるの自分だからね。
20080902初出