踏み込めない、後一歩
爪なんか立てたって勝ち目なんかない。
初めてあの腕をすり抜けた日,フランスは嘘のように穏やかに笑った。いつか誰にでもそういう日が来るんだなと諦めたように,呟くその顔さえも憎らしくて困った。だってなんていとおしいんだろう。大好きな,おだやかなひと。
彼を征服しようだなんて思ったことは一度もない。ただそのおだやかな目から逃げたかった。温い水の中を彼といると泳がされる。自分の奥底から来る,本能に似た衝動をかみ殺せるほどイギリスは歳月を経てはいなかった。だから突き放したんだ,と言い聞かせながら,さて,ではこの現状は何だと考える。
フランスの背中に爪を立てながら。
「イギリス,爪は切っておいてくれよ」
「うる,さぁ,い」
彼の芯があって熱いものが体の中を満たす。好きにされていく体なんて別に今更どうということはない。自分だって本気を出せば下に甘んじる必要なんてないはずだと思っている。逃げ出さなければ,この男から,考えながらフランスの芯を含んだまま腰を揺らす自分を自覚している。
まして,どうして爪を立てる?
「俺に,つめ跡のこしたい?」
言われた瞬間,弾かれたように体の内部が反応する。
頷いたら,きっと全て悟られるからイギリスは目をきつく瞑って首を横に振る。フランスが肩を震わせて笑うのが繋がったところから伝わって来る。
「イギリスは,可愛いな」
征服なんてしたいわけじゃない。
彼に甘やかされたいわけじゃない。
ただ,ただひたすら自分だけを見てほしい。
それを自覚しても例えば口にすれば,すべて終わってしまうだろうとイギリスは考えている。
だからフランスに可愛いなんていわれても信じられない。
「そんなの,信じない」
「そういうとこも,可愛い」
フランスがさらに奥を突く。自分の爪が彼の肩に食い込む。
きっと彼はこうやって自分のすべてを知っているのだ。
喉を仰け反らせたそこから,何かを零さないか不安で仕方ない。
***
ツンデレは正面から向かい合えない。
フランス兄さんはちょう広い胸を持っていると思う。
タイトルは「悪魔とワルツを」から。
20080808初出