恋しいならば必然
容易いことしか言えません,なんて
書斎の壁に押しつけた男は相変わらずの青白さだった。己の無力さを悟りすべての交渉をなげうったあのときから,この男はずっとこの秀麗な美しさも退廃的な雰囲気も何も変わっていない。そう,ただドイツだけが世界の中で立ち直り,そしてこの男はもうずっとドイツの傍にあることだけを選び何もかもをなげうった。
それならば恋しくても良いのに。
触れようとすればオーストリアは顔を背けた。彼は気まぐれだ。そんなことはとうに承知している。もとはいかなる手段を使ってでも世界を手に入れようとした男は,すっかり自分を守るだけの存在になってしまって,それでもいいのだ,とドイツが思えば思うほど,ドイツ自身が彼を追い込んだような気がしてならないのだ。
「……まだ昼間でしょう」
彼の声はあくまでも固い。
彼の言うとおり,書斎の外はまだ明るいだろう。しかしここは地下で,同居人は隣国に遊びに行っている。そうなればまるで罪悪感などないような気がして,ドイツは首をかしげて見せた。
「何か問題が?」
「貴方がそんなことを言うなんて,私は困ります」
恐らく嘘ではないのだろう。
オーストリアはこれ見よがしに眉を顰めた。
構わずに触れれば,目線以外は拒まなかった。その目線だけがひたすら,ひどく拒絶をしていた。身を引くことが要求されていることくらいドイツにも分かっていたが,しかしその体を目の前にして今更止まることが出来ないことも彼はきっと分かっているのだ。
「触れれば触れるほど断絶されてしまいそうなのです」
あきらめたように体の力を抜きながら,ぽつりとオーストリアは呟く。
「貴方と私は違う生き物でしょう」
確認すればするほど重なり合う所はない。
それはこの家に住み,しかし一番幼いドイツが誰よりも実感していることであり,したがってそれをオーストリアに指摘されるとドイツはもう何も言えなかった。
違う生き物だから,性急に触れようとしてしまうのだと,ドイツはもう自覚している。
「でも貴方と生きることは必然になってしまっているのです」
「それがつらいのか」
「つらいのならばいっそ,消えてみせます」
オーストリアはそういって,緩やかに笑った。
ドイツには理解が出来ない。
この秀麗な人は自分が幼い頃からずっと何かを望んで生きていて,それなのにあるときに何もかもからぱたりと手を引いてしまって,そして自分とただ漫然と生きている。それならばどうして自分はこんなところに彼を引き込んでしまったのだろうかとか,彼はどうして自分と共にあるのだろうかとか,そんなことばかり考えるのだ。
いつも答えなど見えるはずもなく。
「受け入れなければならないと言い訳をしているだけですよ」
「言い訳なのか」
「ええ」
遠回しな表現が自分を拒絶しているのかと思えば,その白いきめ細やかな手がドイツのほほに触れてくる。
「だから貴方のお好きになさい」
結局自分に理解できるのはそんな即物的な誘いだけで。
いつも,事後に私は簡単なことしか申し上げておりませんよ,とつぶやくオーストリアの意図一つ,読めたためしがない。
(ただ,ただ貴方と生きることができるならば,私はそれで良いのです,と)
***
簡単なことを無駄に難しい言い回しでお貴族様が言っちゃうのは,簡単に答えを上げるのは若造を甘やかしてるみたいで悔しいから。
ほんとはただ好きなだけなんだけど,とか考えてる貴族様が大好きです。
20090119