融ける音とまどろみと君

目を開ける前から,ピアノの音が耳を叩いた


 目を閉じたまましばらくドイツは考えた。帰って来て疲れていて,鞄を置いて多分ソファーに沈み込んで,それすらできたのかどうか記憶にない。ああ,たぶんドアの開く音を聞いてオーストリアが玄関まで迎えに来てくれたような気はする。その場で鞄も持ったまま立ち尽くすドイツを訝しげに見てくるオーストリアを抱きすくめて,つかれたと呟いて…抱きすくめて?
 ドイツは思わず目を開けた。ぱりぱりと目の表面が乾いていて痛む。
 少し動いたら肩にかけられていた上着がゆっくりと絨毯の敷き詰められた床に落ちる。もちろん自分でかけた覚えはない。その音に気付いたのかピアノを弾いていた手を止めてオーストリアが振り返った。こういうとき彼は意外と優しい。
「目が醒めましたか?」
「…どれくらい眠っていた」
「ほんの30分ほどですよ。シャワーでも浴びてきますか?」
 椅子から立ち上がろうとするオーストリアを,大丈夫だと手で制する。
「そのまま弾いていてくれ」
「起こしてしまいましたか?」
「いや,むしろおかげでよく眠れた。こんな時間に俺がこのままだとお前も落ち着いて眠れないだろう」
 帰って来た時間からすると,たぶん今は日付変更線くらい。
 同居人が帰って来てそのままソファーで寝ているのを放って置けるほどこの同居人は薄情ではない。ドイツは凝り固まった肩を無理矢理背伸びして伸ばすと,悪かったな,と呟く。
「せっかく弾いていたところを邪魔してしまった」
「いいえ,よく眠っていただけるピアノは,上出来と言うことですから」
「そうなのか?」
「よくつっかかっているピアノの隣では安眠できないでしょう。聴いている身の方が緊張しますからね。安眠していただけると言うことは大きく緊張しなければならないところがないということでしょう」
 なるほど,聞いたところ納得のいく言い分だった。だが,と思う。ドイツはバスルームに行くためにどうしても傍らを通らなければならないピアノの隣に立ち止まると,椅子に座ったままのオーストリアの頭上に言葉を落とす。
「だが,俺はお前の音ならなんだって聞いていたいがな」
 オーストリアは一瞬固まったあと,貴方疲れているんですかお馬鹿さん,と畳み掛けるような早口で呟く。
 え? と自分の発言を反芻し,さらにうろ覚えの玄関での出来事を回想して,ドイツは文字通り腹の底からうわぁと思った。疲れのせいならば重症だ。そうでなければもっとある意味重症だ。
 オーストリアは困ったような表情をつくろいながら顔が真っ赤だ。
 たぶん自分も今頃顔が真っ赤なのだろう。これがフランスだったら,きっとさらりとかわすか持ち込むであろうこの空気の処断術を,幸か不幸かドイツは持ち合わせていない。ああ綺麗な髪だと思いながら誘われるようにオーストリアの髪に手を滑らせる。そのドイツの手に指を絡めてくるオーストリアの仕草はやはり自分よりは手馴れているから,なげやりにあとはオーストリア次第だとドイツは膝を折ってそのうすい唇に唇を寄せた。

***

貴族はドイツに絶対ゲロ甘いと思う。自分よりも年若い者に対する器用さという点ではイギリスには比べ物にならない。その経験値の差をドイツは結構くやしがってればいい。同居してる限りなかなか越えられない壁だけど,ね!
自作タイトルはやはりセンスがない。
20080811初出